タイトルの『春』と『読書』は
まったく関連性はないそうです。チップです。
みなさんに驚きの事実を発表します。
準備はよろしいですか?
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実は母ちゃん、ここ5年ほど読書をまったくしておりません。
あ、日本語の本に限ってということらしいです。
幼少の頃は近くの図書館で本を借りつづけたり、
中学生のころは赤川次郎がくりだす謎解きの世界にふけったり、
通学通勤中も文庫本はいつもカバンの中にあったりと
それなりに読書をしていたそうな。
それがこの5年、ぱたりと読書をしなくなった。
母ちゃんの分析では英語と日本語、あたまの中の境界線がごちゃごちゃになるから・・・。
英語の環境でモノゴトを理解し、筋道を組み立て、世の中をサバイバルするために
日本語的考え方から距離をおいていたそうな。
でもね、ホントのところは
読書から『知る』ことに飽きた、らしいですよ。
こう、サラっとしたニュートラルな状態にしておきたかったらしいです。
どうしてだろう?何でだろう?知らないことをもっと知りたい!
読書はそんな疑問に答えてくれますよね。で、人生を勉強したりしますよね。
あたまの中でいろいろと考え噛み砕き自分なりの理解を導き出します。
エネルギー使います、それって。
では、読書以外で何かを得ることの代表選手は、経験。
これも読書以上にエネルギーを使います。
知らない地を旅行する時、
五感のはたらきが脳にインプットされてその地を理解するように
NYという新しい環境で生き抜くために、まずは五感をたいせつにしようと考えたそうです。
五感からえる経験と、経験からえる知識と知恵は、ときとして読書にまさる。
というわけで、エネルギーの使い方をかえてみたようです。しかも5年もの間。
結果、5年ぶりに手にとった文庫本のジャンルが以前とまったく違っていたそうです。
作者の血と汗と涙の賜物への敬意もまったく違っていたそうです。
濫読ばかりしていた頃に比べ、読書のありがたみが増す。
精神のリハビリにかけた5年はそれなりに意味があったようですね、母ちゃん。
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チプサル母です。
な~んもオチのない自己満足な記事になってしまったことをお詫びします。
読書にもどるっていうのは、私にとって大きな変化だったもので。
こんな精神のリハビリ(?)は誰にもおススメしませんが、
5年ぶりに読む日本語の本っていいものですね。
ブックオフの店員さんの日本的サービス業の本髄を「またお越し下さい。」の一言で感じました。
アメリカ(特に大都市の)サービスの悪さに嫌気がさしたら、ブックオフはおススメです。
ふらり読書の旅に出てしまったため、仕事が遅れてしまった。
お待ちの皆さん、ごめんなさい。
あ、昨日はとてもよいお天気でした。
春が来た~と喜んでいたら、今日はどしゃぶりで雷までなってます。